院長プロフィール
名前
渡辺 佳夫(わたなべ よしお)
出身
1951年生まれ、静岡県出身。
経歴
滋賀医科大学卒業後、京都民医連で病理研修、一般内科、外科、整形外科、麻酔科、産婦人科の基礎研修を2年間。松阪中央総合病院で1年間の内科研修、三重大学神経内科入局。その後、同病院の神経内科に医員として4年、医長として6年勤務。
1998年11月当院開業。
資格
日本内科学会認定医、日本神経学会専門医、三重大学医学部臨床講師
会員
津豊ヶ丘キリスト教会会員、日本スピリチュアルケア学会
キリスト教と私
どうして信仰するようになったかお話しします。
どのように私がイエス・キリストを信じるようになり、そしてどのように変わったかをお話したいと思います。私は出身が静岡ですが、高校を卒業して東京で浪人生活をしました。いろいろな本を読みまして、ギデオン協会からの聖書も読みはじめました。悩み多き浪人生活のなかにありまして、その聖書を読んでとてもなぐさめられました。特に、新約聖書に(ヤコブ1:12)「試練を耐え忍ぶ人は幸いである。それを忍び通したのなら、神を愛するものに約束されたいのちの冠を受けるであろう」という聖句がありますが、この「いのちの冠」という言葉が好きになって、「どんなつらいことがあっても死んではいけないな…」と思って希望をもてるようになりました。そしていつの間にか、志望する大学には入れたら近くのキリスト教の教会に行きたいと思いはじめました。しかし、実際に希望通りになると教会のことなど忘れてしまい、青春時代を楽しんでいました。そして、あいかわらず心の中は何か満たされておらず、浪人生活と同じように、心のどこかに穴が開いていていつもそこに風が吹きぬけているような空しさを覚えていました。そんな時、友人の一人が大津福音自由教会というところで、英会話の勉強ができるから行こう…と誘ってくれたので、また聖書について詳しく学べばいいと思って、行きはじめました。
教会というところに初めて行ったのですが、クリスチャンの方と話していて、いつも言われたのは「罪」ということです。
はじめ、私はこの「罪」がよくわかりませんでした。「たしかに、私は罪を犯している。しかし、それがどうかしましたか?」くらいに思っていました。あるクリスチャンから「今、あなたの罪が目の前で、イエス・キリストを十字架にかけているのですよ。」と言われたのですが、彼の言わんとする意味が全くわかりませんでした。また、しばしば「あなたは愛されているのです。」と教会で聞かされた言葉も、自分には別の世界のように感じられました。それでも教会に通い続けられたのは、教会でいろいろなクリスチャンとの出会いがあったからだと思います。会社の職を捨てて神学校へ進み牧師になった人とか、大学の講師、助教授の職を捨てて海外へ宣教師に行くとか、そのような方々と教会で出会うたびに、「この世界には私には予想もつかない何かがあるんだなあ~。」とわかってきました。
いろいろ罪についてわからないことも、半年ほど教会に通っているうちに、あることを通して一度にわかるようになりました。
瀬戸内にある長島愛生園というところに行く機会があった時です。(私が26歳の時でした)そこは、ハンセン氏病患者を収容していたところでした。そこにも教会がありまして、今でもその教会であった集会のことを忘れられません。目が見えず、手足の感覚がなくなり、鼻もとれた彼らが、「せっかくこの病にかかったのだから…」といって、賛美歌を歌っていたのです。その集会のあと、1人の65歳くらいの女性が私に話しかけてきまして、「島の外から来られたあなたに私の罪を告白したい。」と言われました。私は彼女の告白を聞きました。情欲に負けたという話でした。あとで1人になってみて、私はひどくショックを受けました。そして、この方の話を通して、今までわからなかったことや思いもよらなかったことがわかってきたのです。
まず第1に、人間というのは末梢神経が麻痺したとしても、情欲の誘惑からは逃れることができないということ。第2に、彼女は自分の罪として告白したのに、私自身も同じ罪を持っていることに気づきました。以前は「たしかに自分は罪を犯している。しかし、それがどうかしましたか?」と思っていたのに、実は自分の罪というのはフタをあけてみるとわけのわからない肉や血が腐って、ウジがわいて、ものすごい悪臭がしてくるようなもので、実におぞましいものだとわかりました。そして、この私の罪が今、目の前でイエス・キリストを十字架にかけているのだな~とわかったのです。第3に、私のこの罪を償えるのは修行とか善行とかではなまぬるくて、ただイエス・キリストの十字架上で流された血による以外はない!とわかりました。
その晩、私はもうどうしようもなくて、神様の前に全面降伏して、自分の罪を罪として告白し、そしてクリスチャンとなりました。
その後、どのように変わったかと申しますと…ペースの遅い歩みでしたけれど、今までの7年間を振り返ると、神様はじつにすばらしいことをしてくださったとわかります。あるクリスチャンは、人生には3つの大きな選択があると言っていますが、それは、生きる信条、職業、そして結婚相手です。私はこの3つを、聖書を通してさせていただくことができました。生きる信条の選択では、聖書にあるように、「イエスは主である」のスピリットで。職業については、一時期弱気になってあきらめかけていたのに教会から励まされ、希望のコースに進めました。結婚についても、1年前、私にピッタリのすばらしい、クリスチャンの女性が与えられました。
これからの人生も、主とともに歩んでいくつもりです。ありがとうございました。
1986年、滋賀県大津福音自由教会にて。