薪能で知った般若の悲しみ

エッセイ

久し振りに薪能を見た。暗闇に舞台が明るく浮かびあがり、まさに幽玄の世界を見た一夜であった。
曲目は源氏物語に題材を得た「葵上」。光源氏の正妻である葵上が、六条御息所の怨霊にとりつかれるという内容だ。
鬼女となった六条御息所の面は、いわゆる般若であるが、私は子供の頃から、般若ほど恐ろしい顔はないと思ってきた。しかし、当日の解説者の説明を聞いて認識が変わった。
「般若の表情は、怒りや恨みより、悲しみと受けとめている。」人は悲しみの極致にあると、角もはえ、あの顔にもなるのだろう。
たとえば、不条理な死をとげた我が子を抱きしめる母親、ウクライナで地雷を踏んで死んだ兵士の家族の悲しみ、これら悲しみの極みにある時、この面のような表情になるのではないだろうか。
薪能の当日の解説者は次のようにも語った。「能では、ラストで悲しみへの癒しが与えられる。」
むかしから日本人は、この面を見て自らの経験した悲しみを新たにし、また癒されて暗い夜道を帰ったことだろう。

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