認知症治療という不可思議

エッセイ

認知症に対する治療薬がある。効果のほどはさておき、80歳、90歳になって認知機能を改善させる事にどういう意味があるのだろうか。
どうにもならないこの社会、やり直しの利かない人生・・・これらを正しく認知し行動せよと、高齢者に強いる権利が、誰にあるのだろうか。
しっかりしていた母親、父親がある時、急に辻褄の合わないことを言い始めた。家族があれほどしっかりしていた親に元に戻ってほしいと切に願う気持ちは、私はよく理解できる。
しかしである。80歳、90歳になって、理解力・判断力が若者並みにしっかりしていたらどうなるのだろうか。しばらく会っていないあの友人はどうしているだろうか?孫の○○君は学生生活をどう送っているだろうか?会いに行きたいが、首から下がついてこない。そして実行できない自分に苛立ちを覚えるのだろうか。仕事を引き継がせた息子がしっかりできているのだろうかと気になり、職場に出向いた。そしてあまりの不出来さに激怒する。
朝鮮戦争で大統領と意見が合わず、司令官の任を解かれたマッカーサー将軍が議会で語った言葉を思い出す。「老兵は死なず。 消え去るのみ。」我々も老いてきたら、適度に認知機能を低下させて、若者達の不出来を見て見ないふりをするのがのぞましいのだろうか。さらに、認知症になって消えて去ったほうが、さらに望ましいかもしれない。
(保険医協会夏季特集号に掲載 2024年8月)

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