三重医報2020 5月号
ドイツ・イタリヤ歌曲にみる死生観
私達臨床医が亡くなられた患者の死亡診断する時、「この方らしい人生であったなあ」と思うのではないか。また、患者さん達の人生そのものが多様であったなあという実感を持つこともあるだろう。2025年、「団塊の世代」と呼ばれる人たちが75歳以上の後期高齢者となり、我が国では多死時代を迎える。「生きてきたように死んでいく」という言葉があるが、医療現場では、我々は多様な最期を看取るとともに、その患者さんが背負ってきた多様な生き方を慮る機会が増えるにちがいない。
私は日ごろドイツ歌曲を聴きながら、我々医療者にとり、豊かな死生観をもつのに、ドイツ等のクラシック歌曲が、死に関する感性を拡大させ深める力があると受け止めてきた。特にドイツ歌曲は、ある学者の報告では、ドイツ以外の世界中の国々の中で、日本がもっとも愛好家が多いそうだ。おそらく、人生を観る見方において日本と共通点が多いからだろう。私は数ある歌曲の中から、代表的な5曲をとりあげて解説する。メロディーもさることながら、私達日本人の心に染み込んでくるのは、歌詞の奥深い語り掛けだ。死することにも、計り知れない意味があることを、これらを通して知ってみたいと思う。
第1曲
「夕べの想い」 K.523 モーツアルト作曲 カンペ作詞
はや一日が暮れ、太陽は沈んで
月が銀色の光を投げかけています。
人生の最良の時もこんな風に過ぎ去ってゆくのです、
ダンスに夢中になっていた間に、とでもいった風に。
人生の様々な場面はまもなく消え失せ
舞台には幕が降ろされます。
私たちの芝居もこれでおしまい! そして友人達の涙が
はや、私たちの墓に降りそそぐという寸法です。
たぶんもうすぐ(ほのかな西風のように
ひそやかな予感が私に吹き寄せてくるのですが)
私はこの世の巡礼の旅を終って
いこいの国にとび去るでしょう。
その時、あなた方が私の墓の前で泣き
悲しみに暮れて私の灰を見つめるなら
私はあなた方の前に姿をあらわし
風に舞い立ってあなた方に吹きつけましょう。
あなたもまた、ひとしずくの涙を私に贈り
一本のすみれを摘んで私の墓に手向け
あなたの心のこもったまなざしで
やさしく私を見おろしてください。
私にひとしずくの涙をささげて、ああ
その捧げものを恥ずかしがらないで!
その涙こそは、私の冠の中の
いちばん美しい真珠になることでしょう!
【曲の解説とコメント】
モーツァルトは1787年4月4日、父親レオポルドに向けて手紙を書いている。「死というものは人生の究極であって、私は数年来このよき友とは親しくなってしまいました。それにはむしろ慰めさえおぼえるのです」。この頃、モーツァルトは生活に疲れて精神的にも滅入っていた。手紙を書いた翌月28日、父が死んだ。同年6月24日、死についての最も深い瞑想の一つであるこの曲は作曲された。相対性理論のアインシュタインは音楽についても詳しく、曲に込められた作曲者の深い心情を次のように察している。「『夕べの気持』は感情と表現の深さを持ち、カンタービレの完全さをそなえているために、劇唱(シェーナ)なのかリートなのか、イタリア的なのかドイツ的なのかという疑問を忘れさせるような、繊細で抒情的な魂の奥底からの発露である。」[アインシュタイン] p.515 私は、人生で男が涙するのは2回しかないと思ってきた。父親の死の時と、母親の死の時だ。それ以外は涙は決して流してはいけない、そういうものだと信じてきた。しかし、この曲を知ってから、「涙は流していいんだ、涙はなくなった友人にとって最高の真珠になるのだ」から、はばかることなく涙を思い切り流していい!こう思う人間に変わった。音楽の力を感じた。
第2曲
リヒャルト・シュトラウス作曲 『4つの最後の歌』第3曲 (詩:ヘッセ(Hermann Hesse))
眠りにつこうとして
この一日にわたしは疲れ果てた
わたしの心からの願いは星のきらめく夜が
わたしを優しく迎えてくれることだ
眠くなった子供を抱き取るように
手よ、すべての仕事を止めるがよい
頭もすべての思いを忘れるのだ
今わたしのすべての感覚は
眠りに沈むことを欲している
そして魂は思いのまま
その翼を広げて飛ぼうとしている
夜の魔法の世界で
深く、とこしえに生きるため
【コメント】私は52歳のALSの患者を患家で看取ったことがある。憔悴した父親が葬儀のあと、当院に挨拶に来られた。彼がクラッシク音楽に詳しいことを知って、私はこの詩をプレゼントした。後日、彼から手紙が送られてきた。手紙には、「毎日、この曲を聴いている。最近ようやく息子がこの世を去ったことを受け入れられるようになった」とあった。私は父親である彼が、この地上での現実を受容することができ、息子が「とこしえに生きるために」、やっと握りしめていたこの世での離別を手放すことができるようになったと思った。これが音楽のもつ慰めの力、music therapyがあるゆえんだと感じた。
第3曲
O del mio amato ben(ああ愛する人の)
ああ 愛する妻 今はいない
私の栄光 誇りだった
今 静かな部屋から部屋へ
妻の名を叫んでみる
返事があるのではと思って
だが静まり返り 探しても姿はない
涙があふれ ただおろおろと泣く
妻のいない空間は いずこも悲しい 今が昼か夜かも知らず 火も氷のように冷たい
どこかで一人で生きていこうとしても
一つの思いが私を引き裂く
妻がいない今、どうして生きていけるのか!
この世はあまりに虚しい
愛する人がいない今は
【曲の解説・コメント】
O del mio amato ben(ああ愛する人の)はステーファノ・ドナウディ(Stefano Donaudy, 1879年~1925年)によって作曲された。「36 Arie di Stile Antico(古典様式による36のアリア)」として出版された36曲のうちの1曲だ。「はたして歌詞のごとく女房を熱烈に慕う夫がいるのか」と思うが、女房に先立たれた夫のその後が、まことに弱々しく寂しい現実が多いことを思うと、やはり真実な場合もありそうと思う。妻を亡くした時、そんな夫たちはこのように思うのだろうか、「振り返ると、私はおまえのことをほとんど見つめることがなかった。私の子どもをこの世に送り出し、私を絶えず支えてくれた。新婚以来、失ってはじめて、お前のかけがいのなさがわかった。愚かだった、ああ許してくれ・・・」。そして歌詞のように「妻がいない今、どうして生きていけるのか、生はあまりに虚しい、愛する人がいない今は」。音楽療法には、悲しみの感情をより強める曲を聴くと、逆に慰めの感情が生じてくるらしい。女房を失い、悲しみの果てまで行った時、きっと何か与えられるに違いない。またこの曲には、まだ若い年代の夫婦への次のようなメッセージがあると思う、「尊い人が亡くなってうろたえるのではなくて、生きているうちから大切にしてあげてください。」
Luciano Pavarotti
多くの歌手が歌っているが、私はイタリヤの大柄なテノール歌手、Luciano Pavarottiをお勧めする。大柄で朴訥とした印象の男が、写真のごとく切々と歌う。
第4曲
Robert Schumann作曲 Liederkreis”; op. 39;
In der Fremde 異郷にて
赤い稲妻のかなたの故郷から
雲がこちらにやってくる
父母はすでに無く
故郷で私を知る者はもういない
ああ 静かなる時の訪れは もうすぐだ
そのときは私も安らうのだ
頭上で森の孤独が ざわざわと音をたてる
ここでも 私を知る者はもういない
(ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ、対訳:山枡信明)
【曲の解説・コメント】略
第5曲
フランツ・シューベルト作曲
ヴィルヘルム・ミュラー作詞
美しき水車小屋の娘 D.795第20曲
小川の子守歌
お休み お休み
眼をとじて
さすらい人よ 疲れしものよ
ここは君の家
誠実は ここにある
ぼくのところに横たわりなさい
海が小川を飲み干すときまで
略
おやすみ おやすみ
すべてが目覚めるときまで
たっぷり休んで
喜びも苦しみも忘れなさい
満月が昇り
霧が晴れる
そして天空は
どんなに遠く拡がっていることか
【曲の解説・コメント】
「美しき水車小屋の娘」は、同世代の詩人ヴィルヘルム・ミュラー ((1794-1827)の長い詩集「旅する角笛吹きの遺稿」第1部に「歌」を付けた。希望に胸を膨らませて旅に出かけた若者が恋によって次第に変化してゆく姿が生き生きと描かれ、いわば「青春の歌」といえる。あらすじは、主人公である若き「さすらい人」が小川の導きにより、「水車小屋」の徒弟になり、水車小屋の親方の娘に恋する。狩人が出現して娘を奪われ、失意の中で小川に入水自殺してしまう。何とも悲劇的だが、これは、若者の夢破れる姿を比ゆ的に歌っている。入水自殺した若者は、若いときの夢を抱いた青年であり、「すべてが目覚めるときまでたっぷり休んで」とあるように、夢を捨てて新たな人生に向う姿を描いている。この曲は、聞く年代によって受け止め方が変わる。壮年から老年の場合、これまでの人生が水車小屋の娘に恋していたと理解され、「たっぷり休んで 喜びも苦しみも忘れなさい」は、死とイエス・キリストの再臨までたっぷり休もうという理解になるのだろう。