力なくベッドに横たわり、残された日々が僅かと思われる患者さん達を、大勢診察してきました。そのたびに私の胸の内に示されるのは、「私にもいつか同じような時がくる」という確かな現実でした。
人生という旅路で、きっとその時、妻に言うと思います。「もう歩けない。死が二人を分かつまでと誓ったが、今がその時だ」。
主治医や家族が私への対処について話し合うことでしょう。そこで私は皆が戸惑わないように、熟慮してリビングウイルを作成しました。
しかし、「今の私」から「その時の私」であるあなたに、ひとつ念を押しておきたい事があります。臨終のあなたは、心身の耐えがたい苦しみや痛みに身をおいていることでしょう。そんな厳しい状況にある時、何かを強いるのは辛いことではあるが、それでも敢えてお願いしたいのです。
それは、残される家族に対して、思いやりを示すことです。目前の死に向き合っている時、あなたは、悲観的になったり、自分のことだけを考えてはいけません。自ら尊厳死を望むが、家族から去ることを決して望んではいないことを明確に伝えねばならないのです。
たとえば、このように言う事ができます。「意識がなく、回復の可能性がないまま、チューブにつながれ続けるのは、私には耐えられません。それより、私は天国から皆を見守りたいのです。皆がお父さんと話したい時はいつでも、こんな時はお父さんならどう考えるだろうかと問いかけてください。私は皆の心に必ず答えます。」
家族の微笑みにあなたが囲まれているその時、あなたは「今の私」に対しても次のように語りかけているように思います、「この世を去る瞬間よりも、あなたが生きている今が大切なんだよ。有意義に自分らしく生きてほしい。真の尊厳ある死は、今日という日の積み重ねにかかっているのだから。」 2005/12/23
(日本尊厳死協会30周年記念行事「尊厳死への私の思い」作文コンクール優秀賞)