【要約】
一人の患者を支える際、在宅の方が多種職の事業体が独立した事業体であるため、病院より連携構築が難しい。治療法のない病だと患者が診断されるのは、病院においてであり、幾多の心の変遷の後に在宅医療に移行してくる。患者一人が、不治の病を告知された時、悲しみ・孤独・うつ状態をへて、最終的に受容に至るとされるが、この受容が必ずしも到達すべき目標ではない。心の階段一段一段を時間をかけて大切に上る意義を、介護する私達自身が共通の理念としてもつことを多種職連携の基礎である。
【はじめに】
多死社会の到来とともに、介護難民や医療難民が増えることをひたひたと感じる今日この頃である。筆者は、2013年10月17日、津保健所の主催で津庁舎において、「在宅療養にある神経難病患者を支える多種職連携・・・その要とは?」の演題で講演をした。神経難病患者を多種職が連携して支える際の、共有すべき理念について講演した。これは神経難病患者にとどまらず、在宅で終末期にある患者を支えるすべての職種が理解し、互いが共通の理念として保有していなければいけないと考えられる。そこで、当日の講演のタイトルと講演内容を少々かえて報告する。
ここでまず筆者が問いかけたのは、「治らない、介護や医療をうけつつ悪化していく彼らの傍らに、我々介護者は何をよりどころにして、傍らの佇むことが可能か?」それでも、寄り添うことの意味や意義を認識できるなら、可能だろう。その意味や意義が今回のテーマである。
当日の講演は、引き続いて、三重県看護協会居宅介護支援事業 の「なでしこ津」 (室長) 藤波惠子氏に、在宅で過ごすための実務的な内容についてお話いただいた。訪問看護の働きがあるからこそ、筆者が医療現場で以下に記す理念の実践が可能であったに違いない。しかし、今回はこの詳細については、今回省略する。
【講演内容】
① イントロ
BGMにこだわる筆者は、当初、この講演が始まる前に会場に流す曲は、Schubert作曲Piano Sonata in B Flat Major, D. 960 First Movementと決めていた。終末期にある患者にとって、深い慰めになる曲だと思っていたからだ。しかし、講演の二日前、やなせたかし氏の訃報を聞いて、急遽、当日の朝、変更した。講演当日会場は、やなせたかし氏が作詞した「手のひらを太陽に」が流れた。講師の紹介の後、筆者はこの曲について説明した。歌詞に「生きているから、悲しいんだ」があること、また、やなせ氏が「生きているから病気になる」と。この言葉は、今回の講演でもっとも伝えたいことを象徴している。
② 神経難病のうち、特に筋萎縮性側策硬化症に限定して講演した。
筆者は14年前に開業後、現在までに神経難病のうち、筋萎縮性側策硬化症患者(ALS)は、在宅で10人診てきて、そのうち、6人を在宅で看取った。この経験は、振り返るに、筆者ならびに在宅医療のかかわった訪問看護師、ヘルパー、ケアマネージャー達に、実に多大な知恵・教訓を教えてくれた。これに関しては、筆者が記した「尊厳死法制化の論争が明らかにしたこと・・・筋萎縮性側索硬化症患者を中心に検討」に詳しい。ALSという疾患は、医療・看護・介護のみならず、倫理・法律・死生観・・など、きわめて多くのテーマを含んでいる。これが、数ある神経難病の中から特にALSの在宅医療に限定して説明する理由だ。
★ALS患者の経過
ALS患者は、その診断の重みのため、検査・診断される病院はほとんどが三重大学付属病院神経内科だ。本人の脱力の気付き、近医に受診、大学へ紹介、検査、診断、そして迎える告知。患者たちは、在宅医療に入る前にすでの多くの障害を乗り越えてきている。それからかかわりを持つことを、在宅医療に従事する担当者はまず、認識しておかねばならない。
ALS患者の経過を説明する。初診時の主訴は、四肢の脱力や嚥下障害だ。その後、次第に筋力が弱っていき、仕事ができなくなる、車椅子生活、寝たきり、呼吸困難になる。いずれ、全介助になり、呼吸不全のために人工呼吸器に装着か?の問いが生じる。このとき、ALS患者にとっての終末期の定義が問題になる。呼吸不全が悪化したとき、人工呼吸器装着を拒めば、目前の死を受け入れねばならない。そのため、日本尊厳死協会では、ALSにおいてはこの選択の分かれ道を終末期と定義しているが、装着すれば、場合によっては10年以上、生きながらえることがあるので、この定義に異論を訴える方々も多い。
我々が心しなければならないのは、呼吸器により延命できても 幸せになるわけではない 。つけてもつけなくても、それぞれに幸不幸があるということだ。「延命を選択すると、家族に負担をかける 。選択しなければ、目前の死を受け入れねばならない。自分はどちらを選ぶ人間か?」が問いかけられる 。正解などない。本人・家族が、ひとつの有機体となって、主治医や難病支援専門員、患者会などから、助言をうけながら、決定されていく。100人の患者がいれば、100通りのプロセスを経て結論に達するのだろう。そして、そのひとつひとつに真実を認めて行きたい。
終末期に際し、事前指定指示advance directives(AD)について説明したい。現在、わが国は欧米にこの法制化において、約20年の遅れがある。無論、欧米がベストであって追従すべきなどと主張するつもりはない。しかし、世界中がグローバル化し、共通のプロトコールを保持しなければならなくなってきた現代、医療のおいても同様な国際基準の適用が求められるだろう。
筆者自身は、リビングウイル(LW)が法制化され国民全員がLWをある一定の年齢で作成したらよいと考える。しかし、さまざまな考え方があることを考慮すると、あらゆる国民一人ひとりの意思を、国が守る「患者の権利法」のようなものの方が適切だと思う。
現状では、LWに法的拘束力がないため、ADを遺言として公正証書として作成することしかない。
★ALS患者から教えられたこと
大きく、3つある。①人生の多様性、②患者さんの悲しみ、③死に向かっている患者さんに寄り添う意味。各々について説明する。
① 人生の多様性について
患者達は、実にさまざまなことを我々医師に問いかけてくる。「私は社会に何らかの益になろうと励んできたのに、なぜこんな残酷な病気にかからなければいけないのか?」、「死ぬことは恐れていない。ただ、障害をもったわが子を残していくことだけが苦しい。いろいろな福祉サービスを受けられるというが、母親として、何もしてあげられないこの辛さ、わかっていただえkますか?」・・・・・・
私はかねがね、これらの問いに真摯に答えることが、医師・患者間の信頼を構築する上で不可欠だと学生・研修医に指導してきた。そして、次の患者を支える4大柱(図1)について説明してきた。
これらの4つの柱は、個人個人によって、また個人の病時期によって太さや大きさが異なる。人によっては次のような患者さんもおられる。
私が経験した患者であるが、80歳代のその男性は、癌の末期にあった。「最期は自宅で過ごしたいので、その時はよろしく」と私に言われた。病気の進行とともに、呼吸困難や痛みが増大した。しかし、彼はそれでも「自分の存在や痛みがわからなくなるような薬はいらない」と言って、安定剤やモルヒネ等の薬を拒んだ。亡くなる1週間前、いよいよ苦悶表情が強くなり、私は薬剤による緩和を勧めた。家族とともに「あなたが嫌でも、投与します」と半ば強行しようとした時、彼は思いもよらぬことを打ち明けてくれた。「私の戦友達は、断末魔で死んでいった。私だけが楽には死ねない」。私はこの時はじめて、緩和ケアの中で、取り去ることのできないスピリチュアル ペインがあることを知った。
この患者の場合、私が教えられたのは、彼が終末期の激痛にあるのを私が見かねて医療処置をしようとした時、家族にも打ち明けていなかったことを話されたことだ。つまり彼のこの告白によって、私も家族も彼の意図を理解し受け入れることができたが、彼があそこに至るまで口にしなかったことを考えると、彼にとってはできることなら、誰にも伝えることなく自らの胸の内に置いたまま逝きたかったのではなかったのかということだった。白鳥春彦が「人間の中には計り知れない複雑さがある」と語ったように、人には誰にも伝えたくないものがあるだろう。終末期に皆が必ずしもそのような理由を持つわけではないだろうが、人の意思というのはそれほど他者が入りにくいほど固く閉ざされていることがある。明確な意思をもってそれを開けたくないと個人が言われるなら、家族でも受け入れなければならないのであり、これが本人の意志を「最上位の価値」であると言える理由と私は考える。
② 患者の悲しみ
私は長年、ALSの診療にたずさわってきて痛切に知らされることは、本人の「悲しみ」である。患者達の身になって考えると、受診する前から、「もしこのまま悪化していけば自分はどうなるのだろうか」と思い悩んだことだろう。その後、一ヶ月毎に明らかな変化をきたし、「階段をのぼれなくなった」、「仕事ができなくなった」、「車椅子の生活になった・・」と症状が明らかに進行していく。本人・家族がいたたまれない気持ちに見舞われ、そしてその都度、厳しい現実を深い悲しみとともに受け入れたに違いない。我々介護者が本格的な介護に入るかなり以前から、本人・家族はすでに深い悲しみの底に突き落とされている。私が常々、疑問に思うのは、緩和ケアやカウンセリング、スピリチュアルケアがいかに充実しようと、この悲しみのいかほどを癒すことに役立つのだろうかということだ。私が特に介護者に伝えたいことは、緩和ケアの過小評価ではなく、我々が踏み込めない患者・家族の世界があり、また癒すことのできない悲しみがあることを認識しての緩和ケアでありたいということだ。柳田邦男は、「悲しみ」への対処について次のように語っている。悲しみの感情や涙は、実は心を耕し、他者への理解を深め、清々しく明日を生きるエネルギー源になる・・・悲しみの感情を教育の場でも社会的にも正当な位置に復権させることが必要だ。また竹内精一は、日本人の悲しみの受け止め方について、国木田独歩や本居宣長の作品を通して、悲しみにしっかり向き合うことで、悲しみの先に行けるのだと説明している。我々介護に携わる者は、患者・家族の悲しみを軽減させることはできないかもしれないが、人が悲しみに沈むことの意味を認識し評価できるものでありたい。スピリチュアルケアに、患者への傾聴と「共にいる」ことが不可欠であるが、私は悲しみをしっかり受け止めることができてはじめて、そうしたベーシックケアが可能になると信じている。そしてその後に悲しみや苦しみに関心を持てる我々を、患者は理解者・援助者として見てくれるだろうと期待することができる。
③ 死に向かっている患者さんに寄り添う意味
この図は、エリザベス・キューブラーロスが著した「進行癌を告知された患者の心の変遷」である。我々は、これをみて、すべてを受け入れる「受容」こそが、患者が到達すべき最良の境地だと思うだろう。しかし、私は、それは誤解だときづいた。( ロスの本をよめ)
この心の変遷は、私は「戦国時代の城攻め」に似ていると思う。告知されたとき、まだ城には充分な兵力・食料があった。しかし、治療を受けていく段階で、戦略が立てられず孤独になり、敵との戦いの結果に怒り、いよいよ戦況が危うくなってきて、「城は明け渡すかわりに、家族や部下の命だけは助けてくれ」と取引をする。それもかなわず、うつに陥り、そしてすべて明け渡す、部下、家族も自害。たった一人自分が残されて、目の前に切腹の刀がある。たとえ話しがかなり、残酷な表現になってしまったが、これが「受容」だと思う。
そうすると、受容が最良の到達点とは思いにくい。①の悲しみのところで解説したが、悲しみにしっかり、向き合うことでその先にいけるのであり、この階段を一段一段、しっかり上ることがあって、はじめて前に進み、受容の至る。介護者が、理念として共通に保持してほしいのは、まさにことことである。目の前に、「こんな残酷な病気になるなんて・・。俺がなんの悪いことをしたのか・・」と泣き叫ぶ患者のそばに、その一段をしっかり登ることに意味があると認識しているなら、彼の病を治すことはできないが、そのそばに寄り添うことができるに相違ない。
【締めくくりの一言】
一人の患者が悲しみ・孤独・うつ状態にあっても、そこに寄り添うことの価値を共通の理念として共有できるからこそ、職種の連携を超えたプロフェッショナリズムが発揮しやすくなると考える。もし職種間での摩擦や軋轢があるなら、「患者の利益、患者の意思」以上に重視している何かが我々にないか、顧みる必要がある。
【文献】
「尊厳死法制化の論争が明らかにしたこと・・・筋萎縮性側索硬化症患者を中心に検討」、ホスピスケアと在宅ケア vol.19,No.1,p6~22.2011
