語らい深める能舞台に感銘

エッセイ

2001年、ユネスコは日本の能を「人類の無形遺産の傑作」に指定した。能を知らないた私には、なぜ傑作なのかわからなかったが、女流能楽師の謡う「砧(きぬた)」を聞く機会があり、納得した。
世阿弥によるこの能のあらすじは、ある夫が妻を残して出張した。3年で帰る予定が帰られず、妻は寂しさと嘆きにとらわれた。そして夫は心変わりしたと恨みつつ死んだ。妻の訃報に急ぎ帰国した夫に、妻は亡霊となって現れ、夫の不実を責めた。
単身赴任や外国駐在が多い現代にも存在するテーマであり、まことに身につまされる。夫達は、やむを得なかったと弁解しようとし、妻もそれに理解を示そうと努める。能はそんな多因子、多項目の世界と対極にある世界だろう。
舞台から部外者を排除し、当事者だけで語らいを深める。これが現代に最も欠けていることであり、世界遺産として認定された理由ではないだろうか。
世阿弥の室町時代から、ローソクの火で浮かび上がった舞台に我々の先祖は集まった。そして舞台上のものから目をそらさずに、いろいろ思いを巡らしたのだろう。
2008年3月20日

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