知というバベルの塔の崩壊

エッセイ

人間はいつからか言語を用いるようになり、紀元前150年ほど前に紙を発明した。これを契機に本格的な人間の「知」の蓄積が始まったと思う。
これを大きな図書館建設にたとえると、新しい知識や技術を整理して記載し、そこに保存してきた。その後、この知の図書館はより高く、拡大してきたが、私には、これこそが「バベルの塔」ではないかと思う。
近年、情報のデジタル化により、様相は変わった。保存量は天文学的になり、塔の全体像がつかめなくなってきた。入口で検索すると、膨大な量を提示され、目を通すだけで時間切れになる。バベルの塔は倒壊でなく、宇宙空間に無限に拡散するような形で崩壊するのではないか。
人生はたかだか70~80年。知識の獲得量において人工知能に比べれば人間は塵みたいなもの。今、現代人は問われている。
人間の頭脳が把握できないほどの知の拡大に意味があるのか。人間が営々と続けてきた未知の情報を獲得し、成長するという基本路線をいつまで続けるのか。

タイトルとURLをコピーしました