将来を若者と考える

エッセイ

中学1年の時、担任の先生から言われた、「諸君の目の前に知の山がそびえている。山々が諸君を待っている。」幼心に闘争心が駆り立てられたのを記憶している。
しかし、近年様相が変わった。山々の頂は気が遠くなるほど高くなり、登山ルートは無数にある。若者達に挑戦せよなどと言おうものなら、「挑戦するに見合う結果が得られるのか」と逆に問われる。
確かに山のふもとで短い人生を平和に暮らすほうが、幸せかもしれない。
年寄りは、若者と一緒になって将来を真剣に考えねばならない時がきた。
我々はゼロから生まれ、知の獲得のスタートをきる。しかし今や知の世界は拡大しすぎて、その辺境にたどり着けなくなった。いよいよあきらめる時がきたのか。我々が培ってきた価値体系を変換できるのだろうか。
かつて我々の矛盾は地球がやさしく受け止めてくれた。しかし、その地球も狭くなり、無理を受け止めるのに限界を認めるようになった。肩を寄せ合い、狭い地球で生きていくにはどうすればいいのか。

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