日出ずる国の 宿命的な責任

エッセイ

数年前、来日したブータン国王は言われた、「震災の不幸からより強くたちなおる国がひとつあるとすれば、それは日本と日本国民である」。これは社交辞令ではなく、その通りだと私は思った。
日本列島は4つのプレートが衝突する上にあり、太古から地震や津波に見舞われてきた。一方で豊かな森林と海洋資源に恵まれ、賢くなれば豊作がえられ、多くの家族を養うことができた。
だが狭い平野に木造家屋がひしめき、村が火災で一夜にして焼失したり、台風や大雨で田畑が流されてきた。通信のない時代、収穫を前に老いた者ほど、空模様の変化に慄いたことだろう。勤勉、礼儀、忍耐を美徳とする国民性は、そうでなければここで生きていけなかったからではなかろうか。
この痛々しいほど鍛えられた我が国は、今、世界に対して宿命的な責任を負っている。それはこの地球が、食糧や水資源確保、温暖化、原発など、深刻な問題に直面しているからだ。
世界は今や相対的に箱庭化、村化している。ここでいかに平和的に生きるかの問いに答えることは、日本人一人一人の魂に刻み込まれている危機管理の叫びに従うことであり、かつて「日出ずる国」と称した我が国に課せられた責任だと思う。

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