恩師への手紙

エッセイ

葛原先生、長い間のご指導をありがとうございました。私は大学に所属したことがありませんでしたが、松阪中央総合病院に勤務中、葛原先生を迎えての毎月の症例検討会はいつもズシッとした大きな収穫がありました。先生から受けたレッスンを振り返り、私からの感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
学会発表する際の注意として先生は言われました。「症例報告では事実の報告が最も重要であり、考察をあからさまに主張すると下着趣味だと嫌われる」。この言葉は、暗中模索の中で一気に霧が晴れる経験でした。当時の私にとって、学会発表は耐え難い苦痛でした。が、これ以後、私の発表する際の気持ちが変わりました。事実の報告が大切なのであり、それを聞かされた医師がどのように解釈するかは、各人に委ねられる。以後、学会発表は私にとって能力がチェックされる場ではなく、皆への奉仕であり、祈りに変わったのでした。キリスト教の牧師の説教に、しばしば「通りよき管」の例えがありますが、まさにその管の役割をおえるようにとの祈りでした。また葛原先生は、「いくら発表しても、ペーパーにしないと残らないよ」と言ってくださいました。決して誇ることではありませんが、私はある年度の一年間、毎回内科地方会と神経内科地方会のすべて、神経治療学会総会、神経学会総会に異なる演題を出しました。当時の私はただ発表できることに大きな喜びを見出して、まことに幸せでした。私の発表を聴いてくださった先生達にとって、僅かながらでもお役に立てられたものと思いますので、論文にできなかったことはお許し願いたいと思います。さらに考察については、人生においても同じように考えられるとわかりました。つまり人生をどのように過ごし、そしてどう考察をするかは各人に委ねられているのであって、先生が勧めて下さったように、あまり各人が派手に披露するものではないのでしょう。
もうひとつ、「葛原先生の涙」について触れたいと思います。今まで、私は先生が怒った姿を見たことがありませんが、一度だけ、涙を流されたのをすぐ間近でみたことがありました。松阪中央病院での検討会後、岡山のお母様が亡くなられた経過をお話くださった時でした。診断学に特にこだわる神経内科学とトップにありながら、正しく診断することにおいてお母様の力になってあげられなかったという涙であったとのでしょう。学会に、講演に、教授会に…全国を奔走する先生にとって岡山に立ち寄る時間もなかったに違いありません。ひとりの人間が人生をかける仕事をする時、しばしば代償としてこのような辛い体験があるのではと教えられました。私は個人的にひとつ先生に質問したいことがあります。「もし18年前に戻れるなら、三重大神経内科の教授に来られますか」と。多分、葛原先生から次のように返答があることでしょう。「私は私の経験した事実を報告し、考察も率直に伝えた。しかし、これ以上の個人的なコメントは私の下着であって、それを執拗に知りたいということは、あなたには変な趣味があるのでは?」。ということで、このくらいにしておきます。ありがとうございました。
2007年10月14日

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