恐るべき英語の普及

エッセイ

中国語、日本語、英語を話すある中国人歌手がラジオで次のように話していた。「それぞれの言葉を話していると、性格が変わる。広東語では、まくし立てるようにしゃべるが、日本語では礼儀正しくなり、英語では友好的で率直になる。」
体系的に整った言語が発生した時、文法を意識して作ったのではないと思うが、いかにして発生したのか、興味深いと思った。
世界中のそれぞれの国には他国の人達には理解できない不可解さがある。国と国が交渉する時、外国語という壁が一種の緩衝地帯になっていた。微妙な論点のずれを訳のせいにすることができ、摩擦を生じさせるのを防いで来た一面があった。
しかし、インターネットの普及や国際化によって英語がさらに世界統一語になりつつあり、英語的思考を強いられる。従来は曖昧にできたことが出来なくなったら、また曖昧にしなければならないことがそうできなくなったのならどうなるのだろう。複雑すぎることを熱心に説明していたら、簡潔に要点だけ話してくださいと求められるのだろうか。
しかし、多くの民族の多様性は言語に多様性があるからこそ、包み込んでこれたという経緯がある。英語が尊重されるあまり、従来の緩衝作用がなくなって、民族と民族、国と国が、率直に話し過ぎるようになるのだろう。

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