尊厳死
リビングウイル記した責任
尊厳死の宣言書であるリビングウイルを作成することは、自らの行く末を自己決定することであり、尊重されるべき判断だと私は考えている。しかし、臨死期において、これが必ず実施されるという保証はない。その理由には、法制化されていないこと以外に、リビングウイルを発動すべきその時に、作成した個人の存在が希薄になっていることが考えられる。本人をとりまく医療現場を観察し、リビングウイルを記した方の負うべき責任を提言したい。
本年5月、厚生労働省が発表した「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」では、終末期医療及びケアの方針決定は、患者の意思の確認ができる場合 、インフォームド・コンセントに基づく患者の意思決定を基本とするとある。ここでは、患者の判断力について触れていないが、現場ではその程度によって複数の本人が出現し、混乱している。
たとえば神経難病の筋萎縮性側索硬化症の患者が、人工呼吸器を拒否する事前指定書を作成したとする。その後、病状は悪化したが、受け答えが可能だったので、意思の確認はできるとみなされた。実際は低酸素や二酸化炭素の蓄積などによる認知障害にあったが、家族の勧めにうなづいたことが同意したと受け取られた。呼吸器が装着された後、本人が状況を理解できるようになり、「なぜつけたのか」と家族を責めた。
この病気の場合、呼吸器によって判断力は回復し、従来の意思を確認できた。だが、他の疾患では回復しないままの経過をとることが多い。
いずれにしろ、リビングウイルで主張する本人と、介助を受ける今の本人が存在する。さらに家族や医療関係者は、各々の都合にあわせて、別の本人を出現させることもある。欧米ではリビングウイルの法制化によって、個人を特定しており、このような混乱はない。
誰が真の本人かの問いは、わが国では存在しにくい。障害により過去の本人がほとんど消失しても、今の本人に生きる権利があるとの主張が強いからだ。このために身体的ケアが中心になるが、これに関しては、診療の基本に戻り考える必要がある。
患者は身体的ケアだけでなく、心理的、社会的、スピリチュアルの4つのケアで支えられる。しかし忙殺される医師にとって、多様なケアは困難だ。特にリビングウイルに関わるスピリチュアルケアは欠如している。医療現場では、やむなく身体的ケアに偏るのであり、経営的都合がそれを強固にしている。
リビングウイルを作成した方々に助言したい。「周囲に変化を期待することは難しい。家族や主治医にあなたの意思が周知されていないから、いらぬ議論が生じる。終末期に意思をめぐって混乱が生じるなら、責任はあなたにある。愛情をもって明確に家族に説明し、尊厳死に協力する医師に、早めに了解を得ておこう。」