認知症の裏にある貧しい人間関係

エッセイ

認知症患者が夜、「誰かいる、怖い」と叫んだり、「物がなくなった、あの人が盗んだ」と言って、介護者を困らせることがある。
日常生活上の誰もができることができなくなったとの指摘に、「そんなことはない」と強く拒否する。
高齢で認知機能が低下するから、このような認知症のいわゆる周辺症状が出現してくると思ってきた。しかし、最近私は、持って生まれた性格や家族や友人からの愛情のこもった叱責や注意・・・これらの総和として人生の終末期に、自分というキャンパス上にそのままが描かれるように思う。
40~50の頃、意思が強く、リーダーシップがあると高く評価されても、定年退職後は、身勝手、利己的だと言われかねない。
それらのマイナス面の性格や考え方は、修正可能な若い時期に直さねばならないと思う。高齢になって求められるのは酷だ。
本来、治すべき時になおすことができなかった。それは本人の責任もさることながら、家族や知人が野放しにしてきたともいえる。
それを咎められることもなく、修正される機会も与えられず、80~90歳になり、認知機能の障害をおこしてその方らしい人生の締めくくり方をとるのだと。
だからその認知症の方のいわば周辺症状がこのようになった時、理由は周囲にいた家族や友人、職場の同僚が本人に修正をさせなかったことを意味している。つまり、人生の終末期に現われるすべての生活が、その方の人間関係まで露呈している。
もし、あるものが黒いのに「これは白い」と言い続けている人がいたら、家族や友人は、その方の長い人生のために、またその方の人生の総括の一端を担うものとして、「あなたは物事をもっと正確にみたほうがいいよ」と訂正させねばならない。

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