心から病気になりたがっている人たち

エッセイ

この社会には心から病気になりたがっている人たちがいる。仮病ではなく、病気になりたい、そのほうが都合がいいと願っている方達だ。こういう思いは、特殊ではない。こころからよくなりたいと願いながら、実際ではそういう生活になっていない。ごく普通の私達に中にも形をかえて存在している。
医療に限定して考えると、こういう人間の一面が、患者を診察する医師の診察を難しくしている。否、奥深く、そして曖昧にさせている。病気であることに居心地の良さを感じ、また、病気であるために利益を享受している方々。疾病利得とか、精神神経科で学んだことがる。
私は決して彼らを非難はしない。これは、極々普通に私達が生きていく上で行なっていることなのだから。
たとえば私が中小企業の社長であり、会社が倒産するとわかったとしよう。よくついて来てくれた従業員に退職金を支払えないとわかったら、いっそのこと自分がガンと宣告されて病死し、保険会社からの保険金でしはらいたいと願うだろう。「心から癌になりたい」と願う。癌でなくても、糖尿病の治療を自ら中止したり、脳梗塞後遺症あり抗血小板剤を服用しているのをとめる・・・等のことをして、自ら命を縮める。
人間という生き物には、不完全でいることの利益、怒りやねたみ、憎しみにまみれている方が生きやすいと思う方々、健康でいるより病人でいる方が都合がいいと思う人たちが大勢いる。そういう人たちが、この社会を構成している。かく告白する私自身がそうだ。
規律をまもり、切磋琢磨してこの世で人間がいかに生きることが大切か?より高みを目指し続けるなら、そこに責任と自制が課せられることだろう。そんな世界に人間は住めない。
人間の解決できない問題を蓄積させ、しまい込んでおいて、それがどうにもならなくなった時、戦争という形で安全バブルが開く。
戦争も一種の疾病利得かもしれない。大儲けする人たちがいるし、それまでの蓄積された大きいな問題とチャラにできる。

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