戦争の悲惨さを保存できない不幸

エッセイ

憲法改正の論議を見て思った。戦争体験の記録、特に最も過酷な部分は後世に伝承されず、戦争抑止に役立たないのではと。
目の前で焼夷弾で焼かれた親兄弟、死体の山の腐敗臭、死骸の目や口からわき出るウジ虫・・・・。
これら体験者が記憶する悲しみの極みは、伝達可能な情報に変換できない。体験者の記憶中枢に保存される。しかし、酷過ぎるために、記憶を努めて再生しようとはしない。そして、その方が亡くなるとともに、この地上から消去される。
悲しみの極みが後世に伝わらないことが、戦争の歴史が繰り返えされる理由の一つなのだろうか。
1946~48年、我が国の平和憲法や国連の世界人権宣言の起草者達を突き動かしたのは、憲法学者の学識や正義感ではなく、直接見て知っている悲惨な記憶だったと思う。
しかし「戦争はもうやめてくれ」という彼らの叫びは、残念ながら戦後生まれには届かない。なら少なくとも、戦争を知る先人に敬意を払い、「戦争を永久に放棄する」としたその「永久」に込められた強い願いを理解する者でありたい。

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