産業医としてある高等学校を訪れ、50年ぶりに教室に足を踏み入れて驚いた。「同じ椅子、同じ机・・・・昔と変わっていないなあ」と思った。
昔は授業中、じっと座っていなさいといわれ、それが教育なのかと信じた。しかし個人の特性が尊重され、テーラーメイドの考えが普及しつつある現代、教育現場は大幅に変わっているのではと思っていた。
生徒たちは皆、心身の状況が異なる。かつて閉所に閉じ込められた経験のある生徒、脊柱の変形のある生徒、むち打ち症を負ったことのある生徒・・・彼らにとって長時間、椅子に座り続けるということは、心身の拘束であり、状態によっては耐えがた苦痛になる。
午後から辛くなる。肩~頭の筋緊張が増して吐き気や頭痛にさいなまれ、ひたすら時間の過ぎるのを待つ。いらいらが募り、時に先生の制止をふりきって教室を出ていくこともあろう。問題は、彼ら自身が「自分は同級生と違って、規律を守れない、変だ」と思って自らを責めていることだ。
一定の形に生徒を導くという方針も、一部教育であり得るだろう。しかし、学校のスタイルに適応した生徒が評価されても、社会のなかで同様に評価されるわけではない。机のサイズ、照明、授業時間・・・など、一人一人が快適に学べる環境を整える、このことが自由で開放された教育環境の一つの要素であってほしい。