真摯の結果に真摯似合う

エッセイ

国会答弁で、議員達が「真摯に受け止める」などのように、真摯という言葉を頻繁に用いられるのを耳にする。日本語として、誤りではないかもしれないが、気になっている。
辞書によると、真摯とは「真面目でひたむきなこと」とある。真面目でひたむきとは、他者による評価の要素が大きい。したがって、自分の言動に対して、この言葉を用いると我田引水の感がある。そもそも、日本語として奥ゆかしさがなく、美しくない。
具体的な例でいうと、たとえば、相手に謝罪をする際に、その態度が真摯であったか否かは、謝罪を受けた側が「真摯な謝罪をうけた」と表現するのであって、謝罪する側がそれを口にするのは恥ずかしい。
過去の不祥事に対し、企業人が反省を表明する時、それが真摯な反省であったか否かは、その不祥事によって被害を受けた側が「真摯な反省が認められた」と評価するのであり、しでかした側が口にするのは、逆に隠蔽を疑いたくなる。
お客様のニーズや声に「真摯」に応えますと表明することについても同様だ。お客さまから「真摯な応答が得られた」と御評価が得られるように、お客様のニーズや声にお応えしたいが適当と思う。 2017.12月朝日新聞「声」に掲載

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