人の心にあるアウシュビッツ

エッセイ

読書の秋にふさわしい読み応えのある本に出会った。フランクル著の「夜と霧」だ。ドイツ強制収容所の体験記録という副題が示すように、アウシュビッツでの彼自身が経験した事実を記している。
ひとりの心理学者が生きながらえてあの地獄絵を記録しただけでなく、清い愛の心を保てたことは奇跡だった。
神が一人の誠実な人を選び、ダンテの地獄以上の惨劇を体験させ、そして後世に生きる者達に、「絶望してはいけない」と説いているように思えた。
著者は、収容所内で仲間たちに語った。明日ガス室で死ぬ身でありながら、それでも今日生きる意味があることを。読みながら、しばしば涙で活字が見えなくなった。
日本では毎年3万人もの人が自殺している。虚無や絶望に陥って抜けられない方々は、その数十倍はいるだろうと思う。アウシュビッツの現実は、決して歴史のひとコマではなく、多くの現代人の心の中にも、形をかえて存在しているに違いない。
自殺しようとする方達が、フランクルのメッセージに触れずに世を去るとしたら、実にもったいないことだと思った。
(朝日新聞に掲載2005/10/23)

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