私の「不治かつ末期」状態について

エッセイ

末期の方々に接してきて、いろいろなことを教えられた。その多くが今の私の考え方になっている。病気が進行してからでは、難しいリビングウイルを作成できなくなる。心身が衰弱して考える意欲が湧かないからだろう。また終末期という現実から逃げられないなら、無意識にかつ積極的にその問題を認識しないようになるためと思う。これは、少しでも残された日々が安らかにという自己防衛であり、私たちはそういうことをする生き物だと思う。しかし、家族の気持ちを認識せずに「俺のことは放っておいてくれ」と身勝手なことを口にする。これに家族は「ちょっと待ちなさい、それでは困る」と引き止めることになる。まだ配慮が可能なうちに、自らの処遇を決定しておく。家族に思いやりを示しつつ、自分のリビングウイルを説明し同意を得よう。これは、まだ元気なうちに私達に課せられた義務だと思う。
2006/3/27

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