苦悩で神見たベートーヴェン

エッセイ

ベートーヴェンの第九を聴くシーズンになった。この曲を耳にするたびに、なぜ彼が自殺を考えるほど苦悩したのかと思う。
自らの才能に目覚めた若い頃、彼はきっとこのように祈ったと思う、「神よ、悩める人々に生きる希望を与える音楽を作れるよう導き給え」。
しかし、聴力障害をきたし始めた彼は「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた。 ごく僅かの音楽家しか持てない貴重な才能を失うことを、受け入れられないと彼は記している。
私はさらに次のような深刻な問いが彼にあったと思う。「なぜ、神はこの尊き働きに召しだされた私に、これほどまで逆境をお与えになるのですか?」
彼は苦悩に真摯に向き合い、そして神から多くの慰めを受けた。悩める人々の魂にしみ込む旋律の数々は、その慰めを忠実に旋律に置き換えたものだったに違いない。苦しみの果てに気づいたことは、若き時に祈り求めたことを、神は忘れずにかなえて下さったということだろう。
第九で歌われる歓喜とは、自分をいつくしみ育てた神を見出した喜びであったのではないだろうか。
(2006/12/17)

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