エッセイ

我々の行き先なき旅

世の中には、さまざまな問いがある。ゴーギャンの絵画で有名な「我々はどこから来たのか。 我々は何者か。 我々はどこへ行くのか。」この問いは特別だと思う。 社会は、私達に対して「その問いは無視しろ」と命じてくる。学生が先生にこれを問いかけたら、...
エッセイ

老境にあって見出す幸せ

19世紀のドイツの詩人アイフェンドルフは、老夫婦を美しく詠った。 間もなく、眠りの時がくる こちらにおいでこの孤独の中で 私たちがはぐれてしまわないように  * しかし、寿命が延び認知症になる老人が増えた現代をみて、彼はどのように老境をみる...
エッセイ

真摯の結果に真摯似合う

国会答弁で、議員達が「真摯に受け止める」などのように、真摯という言葉を頻繁に用いられるのを耳にする。日本語として、誤りではないかもしれないが、気になっている。 辞書によると、真摯とは「真面目でひたむきなこと」とある。真面目でひたむきとは、他...
エッセイ

表情伝えるマスクマナー

マスク着用が普通の現代、人の表情がわからないため、コミュニケーションの何らかの重要な要素が欠落していると感じている。それは何か考えてみた。 マスク着用がまだ喚起される前、介護施設の職員から聞いたことだが、数分前のことを忘れてしまう重度の認知...
エッセイ

患者の意思を最上位におく議論を

ALSに関係する嘱託殺人事件は、2004年に横浜でもあった(1)。ALSだった40歳の長男に懇願され、母親が人工呼吸器を止めた。嘱託殺人罪で執行猶予付きの判決をうけたが、母親は悩み、「長男の所に行きたい」と夫に懇願した。致し方ないと考え、夫...
エッセイ

ぶっ壊せガンジガラメ 

産業医としてある高等学校を訪れ、50年ぶりに教室に足を踏み入れて驚いた。「同じ椅子、同じ机・・・・昔と変わっていないなあ」と思った。 昔は授業中、じっと座っていなさいといわれ、それが教育なのかと信じた。しかし個人の特性が尊重され、テーラーメ...
エッセイ

雪よりも白く

静岡生まれ、三重在住の私が雪を見るのは年に1,2度しかない。ひと晩で一変する雪景色は滅多に見れないが、そのたびに私はダビデの祈りを思い起こす。 「ヒソプをもって私の罪を除いて清めてください。そうすれば、私は清くなりましょう。私を洗ってくださ...
エッセイ

いつまで生きるのか?

高齢の方々と話していて、しばしば次のように問われる。「はやくお迎えがきてほしい。いつまで生きていなければいけないのか。」 どのように返答すべきか、戸惑いつつ、次のように応えるのが精一杯だ。 「寿命は神様から与えられたものです。必ずその時は来...
エッセイ

宗教的理解ほしい医療現場

アカデミー賞を獲得した映画「ドライブマイカー」を観た。そして、題材となったチェーホフの「ワーニャ伯父さん」を読んでみた。主人公の「(生きるって)なんて辛いんだろう」の言葉に考えさせられた。 これへの応答には数々あろうが、一例を私達はこの映画...
エッセイ

伊勢物語のメッセージ

三重に転居して35年。やっと伊勢物語を読むことができた。 これは平安時代にできた短編歌物語集で、多くが、「むかし、男ありけり」の冒頭句を持つ。 読んで最も強く感じたことは、人の心から発する言葉の重みだった。 私はあなたのことを大切に思ってい...
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