モナリザの微笑

エッセイ

レオナルド・ダ・ヴィンチが、なぜモナリザを描いたのか、わかった。無論、私が勝手に考えていることだが。
ダ・ヴィンチは「最期の晩餐」など、宗教作品を描いた。ということは、彼は聖書を熟読していた。新約聖書ガラテヤ人への手紙5章22節「聖霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、・・・」にあるこの実は、ギリシャ語の原文で単数形で記されている。彼は、その単数としての人格がいかなるものか、活字の表現ではなく、一目をわかる「絵」として表現することに挑戦したのではないか。
微笑を浮かべるモナリザの背景は、どんよりした魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界だ。人間がこの世に生きるかぎり、悲しみ・苦難・絶望・労苦・・・・から解放されつことはない。これを背景にしてなお、真に平安の微笑みをたたえられるなら、それは神からのものに違いない。
ダ・ヴィンチは、人生の最期まで、モナリザを手元の置いていた。実を描ききれなかったためか。忌まわしい世にあって、モナリザの微笑が慰めだったのだろうか。大切なものをひと目で判別する知恵を、情報の洪水にある現代、私達に説いているのだろうか。

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