20歳代の死因のトップが自殺。「早くこんな世の中からオサラバしたい」と願うあなたに一言、申し上げたいことがあります。
この社会には、多くの矛盾、不合理、不条理があり、逃げ出したくなる気持ちは充分に理解します。しかし、辛いから、希望が持てないからを自殺の理由にするなら、私たちには、命がいくつあっても足りません。それほど、生きていく過程には、数限りないいじめ、裏切り、難病、絶対に受け入れられない運命、生き馬の目を抜く驚愕、修羅場があります。
諸君の中には「とんでもない世の中に生まれてきた」とお思いの方々もおられることでしょう。お気の毒と言いたくなりますが、私も同じ世界に住んでいます。
そこで一緒に考えましょう。死をテーマとして与えられた諸君には、自殺のことをとおして、あなたには特別な宿題が課せられているように思うのです。それは、親とか先生からのものではなく、この世に命をあなたに与えた「何か」による特別な教育プログラムです。
なぜ生きるのか?この難問の前から逃げないでください。アウシュビッツの生き残りに、心理学者のフランクルがいました。彼はつぎのように諸君に助言しています。
「なぜ、生きなければならないのかと問いかけてはならない。この世が諸君に問いかけている。諸君は答える立場にいる。」
きっと皆さんは、悶々と考えるうちに、いろいろなことがわかってくるに違いないと思います。
① 死にたくても死ねない現実があること。
② 自分は死にたくても、この世に私を送ってくださった神はいかがお考えなのでしょうか?
③ 死ぬべき肉体をもって生まれてきた。必ず、肉体は滅びさる。何をこの世界に積み重ねても、いずれ消え去るなら、何が意味があ
り、価値あることなのか?
自殺を思うことは、実は、人生の本当の豊かさ、生きる目的を見つけるために、貴重な扉の前に立たされていると私は思います。
私の個人的な考えであり、宗教的な話ですが、私はキリスト教を信仰しており、神様からすべての解決と夢、希望、励ましが与えられると信じています。最近の私の祈りは「主よ、あとあまり長くない残りの人生で、主は私に何を最期の大仕事として備えてくださっておられるのでしょうか。導いてください。」