核廃絶訴えた恩師を忘れない

エッセイ

拝啓 K先生 先日、私は先生の訃報を知りました。そして私は四十年前、先生の世界史の授業を思い出しました。広島の原爆を経験され、「これを話すことは、私の義務だと思う」と語り始めました。
中学生だった先生は、早朝、山に芋ほりに出かけ、閃光ときのこ雲が立ち上がるのを見たこと。市内に向かって走って戻る途中、女学校の校庭に数十名の生徒が倒れていた。やけどはなく、ただ、内臓が飛び出していた。衝撃波のためにこのようになるのだと。市内に近づくにつれ、直接見たおぞましい光景を、先生はリアルに話してくださいました。
自宅を探したが、見つからず、両親と兄弟を失った・・・と。そして先生は教室に響き渡る悲痛な声で泣き始めました。
ただならぬ雰囲気に、私達は先生の受けた心の深い悲しみの一部に触れたように思いました。辛い話をあえてして下さったのは、教師としての義務だけでなく、核戦争に未来はないという事を実感されていたからでしょう。
核廃絶を先生の御遺志として受け、私の子供たちにそのことを伝えようと思います。K先生、ありがとうございました。敬具。(朝日新聞「声」に掲載) 2006/11

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