2019-08

エッセイ

苦悩で神見たベートーヴェン

ベートーヴェンの第九を聴くシーズンになった。この曲を耳にするたびに、なぜ彼が自殺を考えるほど苦悩したのかと思う。 自らの才能に目覚めた若い頃、彼はきっとこのように祈ったと思う、「神よ、悩める人々に生きる希望を与える音楽を作れるよう導き給え」...
エッセイ

核廃絶訴えた恩師を忘れない

拝啓 K先生 先日、私は先生の訃報を知りました。そして私は四十年前、先生の世界史の授業を思い出しました。広島の原爆を経験され、「これを話すことは、私の義務だと思う」と語り始めました。 中学生だった先生は、早朝、山に芋ほりに出かけ、閃光ときの...
エッセイ

モーツアルトの書簡集に学ぶ

ある評論家が、「もしモーツアルトの音楽が何であるか、言葉で表現できたら、彼の音楽はいらない」と言った。しかし、もしあえて言葉にできるとしたら、私はきっと、それは彼の書簡集だと思う。彼の音楽同様に深い愛情に満ちている。 父レオポルドへの手紙に...
エッセイ

私の「不治かつ末期」状態について

末期の方々に接してきて、いろいろなことを教えられた。その多くが今の私の考え方になっている。病気が進行してからでは、難しいリビングウイルを作成できなくなる。心身が衰弱して考える意欲が湧かないからだろう。また終末期という現実から逃げられないなら...
エッセイ

神のなさることはその時にかなって美しい

日頃、私達は実に多くの情報に出会います。脳の記憶中枢には、雑多なデータが流れ込み、記憶の受け皿は常に満杯です。脳では膨大な情報の入力と、不要になった情報の削除がたえず繰り返されています。時として私達は、重要な情報を、ゴミともに誤って削除する...
エッセイ

ホリエモン殿ご苦労さま

善か悪かわからない空間に男たちが命がけで飛び込み、開拓してきた。知的空間であれ、物理的空間であれ、大昔からそうしてきた。 そして女たちが、その結果を検証し、次世代の子供たちに有益な部分だけを手渡してきた。その意味で、歴史は女たちが作ってきた...
エッセイ

今の私からその時の私へ

力なくベッドに横たわり、残された日々が僅かと思われる患者さん達を、大勢診察してきました。そのたびに私の胸の内に示されるのは、「私にもいつか同じような時がくる」という確かな現実でした。 人生という旅路で、きっとその時、妻に言うと思います。「も...
エッセイ

人の心にあるアウシュビッツ

読書の秋にふさわしい読み応えのある本に出会った。フランクル著の「夜と霧」だ。ドイツ強制収容所の体験記録という副題が示すように、アウシュビッツでの彼自身が経験した事実を記している。 ひとりの心理学者が生きながらえてあの地獄絵を記録しただけでな...
エッセイ

乏しさの中で 生きる力養う

15歳の少年による親殺しがあった。「オヤジなんて殺したいほど嫌いだ。母さんは忙し過ぎて死にたいと言っている。辛くて見ていられない」。このように行き詰まっている高校生に対して、父親として何ができるか考えてみた。 いきなり荒療治ではあるが、息子...
エッセイ

自分の最期の意志記す責任

総論より、各論から読んだ方が理解しやすいことがある。 思えば私達は「人間」という難解な書物を、自分という各論から学んでいる。時々、「これが人間なんだな」と、総論の一部を知らされる。しかし、ほとんどの時間は、自分という各論と格闘し、他人のもの...
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